光り輝く選択肢は初めから二重性をわたしに強いており、前提にあるはずの愛情は、形式的な欲望によって否定されたのであった。もともと平面でしか物事を捉えられない=常にあらゆる土地で途方に暮れる身体が、その二重性によってばらばらに引き裂かれる。受動の混乱と悲劇とが、初めて感じた人生の肌触りだった。月が深海へ沈んでも、新しい朝の嘲笑から視線を逸らさなかった。こうしてわたしは生きていた。
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ツイッターにも書いたけど、2015年で面白かった映画ランキングです。新しい映画をほとんど観ないので新旧混合。
1位 トゥルー・ロマンス
2位 安藤昇のわが逃亡とSEXの記録
3位 神々のたそがれ
4位 毛皮のヴィーナス
5位 カイロの紫のバラ
6位 最高殊勲夫人
7位 女は二度生まれる
8位 博奕打ち 一匹竜
9位 刺青
10位 マジック・イン・ムーンライト
「トゥルー・ロマンス」「安藤昇の~」は優劣つけがたいです。どちらも痛快で、映像としても物語としても面白く、脚本の素晴らしさが際立つ傑作でした。「神々のたそがれ」はかなり衝撃を受けたんですが、4時間あるうちの恐らく半分くらいを寝てしまったので、再見したい次第です。これは町田康と中原昌也のトーク・ショウ含めよかった。いま思えば、泥だらけって感じの人選だな…。
ツイッターで数名映画好きの方をフォローしていて、その人たちのリツイート含め20人近くの「2015年映画ベストテン」を見たけど、「毛皮のヴィーナス」をランクインさせている人は一人も居なくてわたしはとてもびっくらこきました。「ニューヨークの巴里夫」を観に文化村に行った際、汚い話だけどお手洗いで用を足しているときに壁かドアかに「毛皮のヴィーナス」の広告が貼ってあって、そこにマチュー・アマルリックの名前があり、彼の顔と声と体と表情と立ち居振る舞いが好きなので、彼目的に観に行ったら予想を大きく超えて優れた作品でした。99%が小劇場でのシーンなので制作費めっちゃ安いんだろうけど、たった二人の俳優の演技含め、才能を持った人たちが創り上げたたいへん豊かな映画だと思います。わたしはまったく演劇は好きではないですが、演劇好きな人はハマる気がします。黒澤明の「どん底」、川島雄三の「しとやかな獣」に引き続き、演劇的と評される映画は大体好きだなあ。
5位以降はほとんど同列です。ウディ・アレンと若尾文子が好きなんだな~というメッセージが強く込められたランキングになってしまいました。「カイロの紫のバラ」は何故か観ておらずDVDで観たんだけど、最後のシーンが圧巻ですね。ウディ・アレンはペドフィリアのド変態だけど、映画のことはすべて分かっている人間なんだと改めて思い知らされました。うつくしい芸術作品というのは、われわれの人生や感情がどんな状況・状態(情態)であろうと関係無く、ただ気高くうつくしいのだということです。だから「泣きたいときに観る映画」「恋をしているすべての人に捧げる映画」みたいなのは本当にクソで大嫌いです。と思ったけど、ウディ・アレン作品ってしばしばそういう扱いをされてしまいがちでウケる。あとこの間「ミッドナイト・イン・パリ」を観ていて思ったのは、ウディ・アレンは結構直截、「(日本で言うところの)ポパイ的人間(=お洒落で、都会的で、ペダンチックで、芸術をネタにかわいい女とセックスするような男)は死んでくれ」と映画で表明しているのに、ポパイ的人間からばかり評価され、「ウディ・アレン映画から見るファッション特集」みたいなのを雑誌で組まれてしまうきらいがあるの味わい深い。こういうこと言うと“自分は分かっている側の人間”みたいな自己顕示っぽくて嫌だけど、まあ、ポパイ的人間よりは頑張って考えているし、その結果全然かわいい女とセックス出来やしないで気持ち悪がられるだけの人生だから、こうやってインターネットの中や似たようなオタク仲間との会話でくらい、“ただ自分よりモテるだけの”善良な人間たちを馬鹿にして得意ぶるのくらい赦されたいね。
2016年もおもしろい映画をたくさん観られたらうれしいです。映画監督がんばれ~。終わり。
2016年1月24日
2015年12月26日
2015年11月16日
ようやく人生が平坦になってきて、もう何にも囚われず死んでいけると安堵していた。しかし先月くらいから、ようやく逃げ果せたと思っていた誰かがわたしを見つけ、耳元で神の不在を繰り返し囁くのだ。それを一度耳にすると頭の中で残響となり、そう簡単には消えてくれない。またもやどことも知れぬ暗く深い穴に突き落とされてしまった。こうして一生、冷たい地面の上で黴たパン(シュミリゲス・ブロート…)を安ワインで飲み下し、悪酔いして嘔吐、狭い穴底に充満する吐瀉物の耐え難い悪臭の中で眠る日々が始まるのだろうか。他者による救済への期待は失せていた、少なくとも「他者による救済があり得なくて残念だった」と、虫の餌にしてしまえていた。それが、今はとても悲しい。神どころか、家族も友人も恋人も不在の世界、見ず知らずの他人だけのよそよそしい世界。天気の話はするけれど、足の傷痕は見せない。落としたハンカチを拾うけれど、手が濡れているのを見てもハンカチは貸さない。
何故、みんなと同じように時間が流れないんだろう。
2015年11月4日
2015年10月12日
今までの人生ですごく好きだなと思った男の人が二人居る。具体的にどう好きかというと、食べ物を自分でよそうくらいならなにも食べないでいいってくらい食を面倒臭がる自分が、くだものの皮を剥いて食べやすい形に切り、この人に食べさせてあげたいな、という気持ちになるくらい好きだった。でも二人とも出会った頃には既にわたしではない女の人と付き合っていた。悲しいことだと思った。それだからか知らないけど、自分には「大切なものを失う不安」という感覚が昔から無い。大切なものが自分のものであった試しが無い。どんなに好ましく思っても好意の授受は成立せず、いたずらにわたしの中から流れ出てどこかへ消え、もし好意の生まれる場所が昔の人々が考えたように泉のような姿をしているとしたら、水が注がれないのだからすぐに枯渇する。むなしい泉の周囲に人気は皆無で、泉の中心に立つ水瓶を持つ天使の彫刻だったものは冷たく穢い苔の塊になる。愛に関してとことんツいていない人生だった。「愛に関してとことんツいていない人生だったけど、その代わりにいい映画とか小説とか音楽に出会えたから、そこはツいていたと思う」とこの間、人との会話の中で、発言した。
わたしはひどくボンヤリしているし、よそ見をしてばかり居るから、重要なサインに気づけないのだろう。いつもわたしが眠っている間に好きな人はほかの女の子とキスをしていて、目覚める前に手をつないでどこか知らない光の中へ行ってしまう。起きても部屋は真っ暗だから、まだ夜かと呟きまた眠る。一度でいいからみんながやっているみたいに好きな人に好きだと言う、ってやつをやってみたかった。
わたしはひどくボンヤリしているし、よそ見をしてばかり居るから、重要なサインに気づけないのだろう。いつもわたしが眠っている間に好きな人はほかの女の子とキスをしていて、目覚める前に手をつないでどこか知らない光の中へ行ってしまう。起きても部屋は真っ暗だから、まだ夜かと呟きまた眠る。一度でいいからみんながやっているみたいに好きな人に好きだと言う、ってやつをやってみたかった。
2015年10月6日
2015年9月21日
2015年9月14日
茶色や黒やぶちの子犬で一杯のショーウインドーの前に立ち止まり、君は子犬たちがとても可愛いことに気づく。一人前の大きさの犬に成長しない、子犬のままでいる犬が飼えさえすればなあと君は思う。君の愛着は控え目である。だからといって、君が生まれつき心の冷たい人間だというのではないーー君は何かと深く本質的に関わるということを欲しないのだーーいずれの場合も長続きしてきっかり二年というように君には思われる。どうしてそうなのか?君はある特定のものと深く結ばれる最後の段階に来て、もう行く時間だと感じるのだ。たとえてみれば、ゲストとして招かれた祝賀会の席で、主人役がもう一杯ブランデーはいかがかと勧めてくれたとき、不思議と素直に応じられないものを感じ取るのに似ている。愛想の限りを尽くして、君はそのように感じてはいない振りをし、楽しくて希望に満ちた雰囲気をできるだけそれまでどおりに保とうとし、「今後」への期待感を殺さないように努める。
ドナルド・バーセルミ「ドーミエ」
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