2015年10月12日

 今までの人生ですごく好きだなと思った男の人が二人居る。具体的にどう好きかというと、食べ物を自分でよそうくらいならなにも食べないでいいってくらい食を面倒臭がる自分が、くだものの皮を剥いて食べやすい形に切り、この人に食べさせてあげたいな、という気持ちになるくらい好きだった。でも二人とも出会った頃には既にわたしではない女の人と付き合っていた。悲しいことだと思った。それだからか知らないけど、自分には「大切なものを失う不安」という感覚が昔から無い。大切なものが自分のものであった試しが無い。どんなに好ましく思っても好意の授受は成立せず、いたずらにわたしの中から流れ出てどこかへ消え、もし好意の生まれる場所が昔の人々が考えたように泉のような姿をしているとしたら、水が注がれないのだからすぐに枯渇する。むなしい泉の周囲に人気は皆無で、泉の中心に立つ水瓶を持つ天使の彫刻だったものは冷たく穢い苔の塊になる。愛に関してとことんツいていない人生だった。「愛に関してとことんツいていない人生だったけど、その代わりにいい映画とか小説とか音楽に出会えたから、そこはツいていたと思う」とこの間、人との会話の中で、発言した。
 わたしはひどくボンヤリしているし、よそ見をしてばかり居るから、重要なサインに気づけないのだろう。いつもわたしが眠っている間に好きな人はほかの女の子とキスをしていて、目覚める前に手をつないでどこか知らない光の中へ行ってしまう。起きても部屋は真っ暗だから、まだ夜かと呟きまた眠る。一度でいいからみんながやっているみたいに好きな人に好きだと言う、ってやつをやってみたかった。