2015年3月31日

 「学生最後の日は」と言いたくはないが、学生最後の日だった。朝から池袋の新文芸坐に行って、チケットを買うときにもう学生証が無いから、一般で買うべきか一瞬迷ったのだけれど意地で学生のボタンを押して、通学定期券を誇示して入場した。「時計じかけのオレンジ」と「博士の異常な愛情」をそれぞれ2回ずつ観た。キューブリックはギャグのセンスが高い、そう思った。
 終わってから大学の友人たちが大学に集まっているというんで馳せ参じた。しかし気鬱がやまずにどうしようもなかったし、どうしようとも思えなかったので、40分くらいだけ居て辞した。しかし帰宅するのも嫌なので、あまり緊張せずに長居出来る純喫茶へ立ち寄った。コーヒーを飲みながら、書き溜めていた日記やら映画の感想などをノートに記録した。
 帰路、白人男性に「You look so…悲しい、悲しそう…なぜ?」と訊かれた。突然。心に余裕が無いので、わたしはただ静かに微笑んで彼の前を去った。これまでの人生、厳密に言うと中学2年生以降、愉快で優しい友人に囲まれ、なんだかんだ嫌なことはあったけれど総合的に見てよい人生を送ってきたと思っていた。そしてその選択をしたのは自分であり、人間として正しくてよかった、正しく生きられて嬉しい、そう思っていた。しかしそれは間違っていた。これを選んだのはわたしでは無い。この人生はわたしの人生では無い。この人生で行使される正誤や善悪といった概念、規範、制度の埒外に居る。それは自由であるという意味では無く、これまで概ね幸福が続いてきたのと同様に、これから続く概ね不幸な日々(クソな言葉だ)に対しなんら異議申し立てする権利を持たないという意味だ。ここでもまた、何者でも無かった。悲しい。やはり頭の中にあるものだけが自己の所有物なのだな。もし死んでしまっても優しくしてね。

2015年3月19日

 3月4日~12日の間、中学生からの友人2人とパリ、ロンドンを旅行した。「ドイツ文学専攻なのに?」と3590236423082人から突っ込まれたが、なめとったらあかんど、と全力で楽しんだ。





 オペラ駅近くのアパルトマンに宿泊した。予想より寒くなく晴れていたため過ごしやすかったが、とにかく乾燥が凄まじい。朝に衣類を洗濯して干すと、夕方帰ってくる頃にはパリパリになっていた。
 パリコレ期間中だったからかも知れないが、それにしてもお洒落な人が多く、お洒落ではない人がマイノリティだった。メゾンキツネ(水原希子)、ケンゾー(松岡モナ)の広告が沢山貼ってあった。モノプリというスーパーマーケットが楽しくて毎日通っていた。ハイブランドの衣服を身にまとった8億頭身くらいある女の子たちがご飯を選んでいる様は大変興味深かった。


 ルーブル美術館。「サモトラケのニケ」が光をがんがんに浴びており神々しかった。
 「モナリザ」は本当に小さかった。近くに監視員のような人が2名居たが、仲良くお喋りをしていて、名画…と思った。


 ルーブル美術館。館内の様子を絵に描いている人が居た。



 パリの人はみんな犬を連れていた。半分近い犬はリードに繋がれておらず、メトロにも乗っているし、友達として付き合っているのかな。



 みんな歩くのが滅茶苦茶に早かった。そしてみんな滅茶苦茶に歩き煙草をしていた。汚い話だが、鼻をかんだら鼻水が真っ黒だった。





 ポンヌフ。「ポンヌフの恋人だ~!」と大はしゃぎで行ったが、またまた汚い話だが上記の通り飼い犬も独立しているので糞の処理が曖昧で、尚且つパリは街中にお手洗いが無い(あっても有料)ため人のものと思われる糞もいくつか見受けられ、「ウンヌフだ…」となった。




 モンパルナス墓地。わたしのわがままを友人たちは快諾してくれ、セルジュ・ゲンズブールの墓参りをした。切符と煙草と花を備えた。感無量。写真撮らせて頂きます、となむなむしてから撮りました。


 ドゥ・マゴ。こちらもわたしのわがままに付き合って貰った。アジア人はパリの景観を崩すのでカフェでは奥まった席に連れて行かれると聞いていたが、フツーにテラス席に案内してくれた。飲み物を頼むときにカタカナの発音で「カプチーノ!」と言ったら以降、店員さんから赤ん坊として扱われてよかったです。


 真ん中のネスティーが美味しくて毎日飲んだ。コカ・コーラ・ライフの後に続いて欲しい。





 ユーロスターに乗ってロンドンに移動。ノッティングヒルのホテルに宿泊した。もう桜が咲いているねえ、と話していたが、アーモンドの木だろうか?


 噂にたがわず天気が悪かった。カモメがたくさん空を飛んでいた。
 ロンドンのお洒落人口は東京と同じかそれ以下で、安らぎを覚えた。


 ホテルの近くに映画館があった。多分名画座。観に行きたかったけれど、3人とも疲労が溜まっており、この状態で映画鑑賞すべきでは無いという判断を下し、よした。



 テートモダン。Paz Errazurizの"adam's apple"という作品。この他にも数枚あり、どれもよかった。




 テートモダン。恥ずかしながらルイーズ・ブルジョワが絵を描いていたことを知らなかったので驚いた。ルイーズ・ブルジョワと知らずに観て、友達と「何この絵…凄すぎない…」と圧倒された。



 テートモダン。展示室に入った瞬間すぐ目に入ってワーイの状態。


 テートモダン。リヒターはわたしがいちばん好きな画家です。こんなすぐに彼の作品を生で観られるとは思わず感無量。




 コベントガーデンにコンバースを履いた人の写真を飾っている場所があった。コンバースも持って行っていたのに、この日に限って革靴を履いており、己の間の悪さに引いた。




 ホテルの人が飼っていた猫。勝手ににゃんた丸と呼んでいた。にゃんた丸は朝ドアを開けると必ず、部屋の前にあるこの階段の下に座っており、目が合うと「にゃーん」と挨拶をしてくれた。その礼儀正しさは、最終日思わず「あ、にゃんた丸さん」とさん付けしてしまう程であった。



 ビールとウィ(略)のためにお金下さい、と歌っていた若者。大通りだけど大丈夫だったのかな。



 ネロのココアはバカでサイコー。ヒースロー空港で飲み納め。


 パリもロンドンもいい所だった。人が優しかった。目が合うとみな微笑んでくれ、話し方も物静かだった。ベルリンに行きたい気持ちがより高まった。
 実際的な生活を営むなら日本が断トツで便利かつ安全だと思われるが、それを捨てても惜しくないと思えるほど、どちらも文化レベルが非常に高かった。日本に文化なんて無いのでは…と考え込んでしまった。でもアジア系のお洒落な人は際立っていた。黒髪は綺麗だ。

2015年3月17日

 四日前にパリとロンドンから帰国して時差ボケが抜けずいつも眠い。今日も16時間も寝た。ようやっと起きても脳みそが縮んだような感じがあって目がとろんとする。耳鳴りもやまない。このように生活リズムの崩れたことによる体調不良、非現実的な旅行から急に現実に引き戻された絶望(帰国した翌日、わたしは区役所に行って住基カードを作った)、その現実が「来月から週に5日朝から晩まで金と生活と生活と生活と生活のために働かねばならぬ」という内容であること、などで抑鬱的な気分である。といってもブログは書けるけれどね。

 働く事実の前にわたしを憂鬱たらしめるのは、卒業式である。女性であるわたしは卒業式に袴を着ていかねばならない。そういった法律は無いがわたしの母の人は非常に保守的な人間であり、着ていかねばならないのである。成人式も本当は出たくなかったし、出るとしても振袖なんて着たくなかった。
 振袖というのはただ着ればいいのでは無く、前撮りという悪辣極まる行事がある。ある晴れた冬の日、読書や映画を観る時間を削って朝からよく分からん百貨店だかどこかの人気のない撮影スタジオに連れ込まれ、見知らぬおばはんに服を脱がされド下手な化粧を施され着物を着せられ、見知らぬカメラマンのおっさんにカメラを向けられカメラは強いフラッシュを焚いていて目をチカチカさせられた。その時あまりに笑顔が作れないわたしを見かねてか、「BGMがあると気分が上がるよね」と言っておっさんが、葉加瀬太郎のあの、ニュース番組の最初に使われている音楽を流してくれたこと、忘れないよ。そんな拷問を終えてマッキントッシュの画面につい先程撮影した100枚以上はあったような気がする写真を、自分の写真を、その中から手前らで4枚選べと言われ、高画質の不美人を延々眺めるという第二の地獄が始まった。母に「どれもブスで選べない。ブスっていうか、なんか、気持ち悪い」と言うと彼女は明らかに苛立ったような顔をした。それをうっかり通りかかって聞いてしまったカメラマンは、ははは、と苦笑していた。
 そして成人式当日、これまた朝も早くから叩き起され、成人を迎えた同い年の女が6疊くらいしか無い鏡張りの和室に順に詰められババアにぐるぐる回され帯が苦しいしもう嫌。昔の日本人は馬鹿。こんなにきつく巻かなくても脱げないし、仮にこんなにきつく巻かないと脱げてしまうんだとしたら脱げて素っ裸になったほうがマシ。とぐるぐると歴史を呪っているうちに鏡台の前に座らされ、ギャルにナーズの紫色のアイシャドウを塗られ、わたしは振袖や髪飾り、小物類を黒・赤・金で統一させているのにどこから紫を選ぶというインスピレーションを得たのか。しかしもう塗り直してくださいと言う情熱は皆無であり、少しでも早く今日という日から脱出したい。
 山手線は原宿駅で雪の重さで木が倒れたという理由で線路の途中で停止した。なんという日だと思った。バナナフィッシュに不適切な日だと思った。疲れたし苦しいから座りたかったが、座ると背もたれで帯のなんとか結びがぐちゃぐちゃになるから座れなかった。数十分待って電車が動き出し、会場のある駅に到着するも、雪で上はびちょびちょ下はつるつる、なーんだ?というなぞなぞの世界観にある道を歩かねばならなかった。なんとか無傷で会場に到着したが、仲の良い友達は大体悪天により来ていなかった。それか、友達の友達と話していて、友達の友達はわたしの友達では無かったし、今もこれからもきっとそうであるので、あまり話が弾まなかった。弾まないなりにも携帯電話で写真を撮りあい、互いの振袖を褒めたりなどした(中学高校と女子校に通っていたため区や市の集まりでは無く学校主催の集まりで、振袖以外に褒める袖は無い)。なんという茶番だろうと思った。友達たちは器量がいいから振袖姿も似合っていたが、わたしは写真で見た限りどこの関取だよというくらい滑稽な姿で、しかしそれでも着飾っているということは褒めねばならないということであり、いやだなあ。と思っていたところ、辛うじていちばん仲のいい友人が一人ぽつねんと任天堂DSで「どうぶつの森」をやっていたので、隣に座って「やあ」「ああ」くらいの挨拶を交わしてどうぶつたちのやり取りを眺めていた。

 以上の出来事に20万円以上ものお金が掛かっている。それなら旅行に行くなり欲しい服を買うなりなんなりするべきものを、「そうするものだから」という理由だけで振袖屋に金を払う。右に倣って桶屋が儲かる。
 このことも憂うべきだが、何より嫌悪感を催すのは、着飾るべき場で皆一様に着飾って褒め合う、ということだ。わたしは自分が振袖の似合わないことを事前に知っていた。しかし友達は友達である故、わたしの姿を褒めた。友達の友達も、友達の友達である故、わたしの姿を褒めた。嘘をつかせた。嘘をつくと地獄で閻魔大王に舌を抜かれるのだ。大事な友達の舌が抜かれる。これは卒業式でも行われる。そしてこちらのほうが厄介である。何故ならわたしはサークルに所属していて、毎年後輩たちは卒業式にやって来て卒業生相手になんやかんやするのが恒例である。きっと褒めてくれるのだろう。似合わないのに。で、成人式のときは相手も振袖姿だったから素直に褒め返せるのだが、今回はそうもいかない。ただただ無垢なる後輩たちに嘘をつかせ、「ありがとう」と言う。後輩たちはたった一度優しい嘘をついたがために地獄に堕ち、閻魔大王に舌を抜かれて痛い思いをする。いま、どうして舌を抜くんだろうと調べたら、閻魔大王はこんにゃくが好きという情報を得た。こんにゃくか…。

2015年3月3日

 引き潮だった。海岸は柔らかくて、どこまでも柔らかく茶色かった。わたしは4歳で、青いワンピースを着て歩いていた。4歳のわたしは青いワンピース姿で、茶色い柔らかな海岸を歩いていた。そこは引き潮だった。青いワンピースが泥濘で汚れて不快だった。母に伝えることが出来なかった。母は夢中で貝殻を拾っていた。大きい貝殻や小さい貝殻を拾っていた母に、青いワンピースの汚れを伝えられなかった。わたしも母に倣って貝殻を拾った。石灰じみた素っ気ない手触りの貝殻を拾った。そのどれもが片側しか無かったが、やがてたった一つ、閉じている貝を見付けた。上下の貝殻が閉じている貝を拾って、無理やり開いた。中には透明の球体が入っていた。母にそれを見せた。母は青いワンピースを汚したわたしを叱った。透明の球体について何も言わなかった。母はわたしの拾った球体については触れず、青いワンピースの汚れのことだけを叱った。
 この出来事から18年の間、透明の球体はダイヤモンドだった。透明の球体がダイヤモンドであることだけが、信じてもよい事実だった。そして18年目の冬、雪の日に、銀座の宝石店でダイヤモンドの指輪を見た。ダイヤモンドの指輪に載っているダイヤモンドは、角が削れて直線的だった。ダイヤモンドは透明の球体で、直線的で店内の照明を反射し、直線的に光って、球体の中に光を飲み込んでそれは、どこかべつのダイヤモンドの中へと、消えていった。18年目の冬、雪の日に、宝石店で失くしてしまうまで、透明の球体はダイヤモンドだった。わたしは4歳で、青いワンピースを着て歩いていた。泥濘を歩いていた。雪が混ざり合っていて、泥の中に、混ざり合っていて、球体だった。直線的な。青く石灰じみた光は、ダイヤモンドの内側で輝いていた。そしてどこかべつの球体の中へと、消えていった。
2月観た映画
・母なる証明
・ボーイ・ミーツ・ガール
・汚れた血
・裸のランチ
・世界に一つのプレイブック
・ザ・フライ
・イグジステンズ
・欲望という名の電車
・クラッシュ
・ベイマックス
・指輪をはめたい
 買い物がてらにカメラの練習。今まで基本中の基本も理解出来ていなかったことが判明。ぴかぴかした建物をたくさん撮った。