2016年1月24日

 光り輝く選択肢は初めから二重性をわたしに強いており、前提にあるはずの愛情は、形式的な欲望によって否定されたのであった。もともと平面でしか物事を捉えられない=常にあらゆる土地で途方に暮れる身体が、その二重性によってばらばらに引き裂かれる。受動の混乱と悲劇とが、初めて感じた人生の肌触りだった。月が深海へ沈んでも、新しい朝の嘲笑から視線を逸らさなかった。こうしてわたしは生きていた。



 ツイッターにも書いたけど、2015年で面白かった映画ランキングです。新しい映画をほとんど観ないので新旧混合。

1位 トゥルー・ロマンス
2位 安藤昇のわが逃亡とSEXの記録
3位 神々のたそがれ
4位 毛皮のヴィーナス
5位 カイロの紫のバラ
6位 最高殊勲夫人
7位 女は二度生まれる
8位 博奕打ち 一匹竜
9位 刺青
10位 マジック・イン・ムーンライト

 「トゥルー・ロマンス」「安藤昇の~」は優劣つけがたいです。どちらも痛快で、映像としても物語としても面白く、脚本の素晴らしさが際立つ傑作でした。「神々のたそがれ」はかなり衝撃を受けたんですが、4時間あるうちの恐らく半分くらいを寝てしまったので、再見したい次第です。これは町田康と中原昌也のトーク・ショウ含めよかった。いま思えば、泥だらけって感じの人選だな…。
 ツイッターで数名映画好きの方をフォローしていて、その人たちのリツイート含め20人近くの「2015年映画ベストテン」を見たけど、「毛皮のヴィーナス」をランクインさせている人は一人も居なくてわたしはとてもびっくらこきました。「ニューヨークの巴里夫」を観に文化村に行った際、汚い話だけどお手洗いで用を足しているときに壁かドアかに「毛皮のヴィーナス」の広告が貼ってあって、そこにマチュー・アマルリックの名前があり、彼の顔と声と体と表情と立ち居振る舞いが好きなので、彼目的に観に行ったら予想を大きく超えて優れた作品でした。99%が小劇場でのシーンなので制作費めっちゃ安いんだろうけど、たった二人の俳優の演技含め、才能を持った人たちが創り上げたたいへん豊かな映画だと思います。わたしはまったく演劇は好きではないですが、演劇好きな人はハマる気がします。黒澤明の「どん底」、川島雄三の「しとやかな獣」に引き続き、演劇的と評される映画は大体好きだなあ。
 5位以降はほとんど同列です。ウディ・アレンと若尾文子が好きなんだな~というメッセージが強く込められたランキングになってしまいました。「カイロの紫のバラ」は何故か観ておらずDVDで観たんだけど、最後のシーンが圧巻ですね。ウディ・アレンはペドフィリアのド変態だけど、映画のことはすべて分かっている人間なんだと改めて思い知らされました。うつくしい芸術作品というのは、われわれの人生や感情がどんな状況・状態(情態)であろうと関係無く、ただ気高くうつくしいのだということです。だから「泣きたいときに観る映画」「恋をしているすべての人に捧げる映画」みたいなのは本当にクソで大嫌いです。と思ったけど、ウディ・アレン作品ってしばしばそういう扱いをされてしまいがちでウケる。あとこの間「ミッドナイト・イン・パリ」を観ていて思ったのは、ウディ・アレンは結構直截、「(日本で言うところの)ポパイ的人間(=お洒落で、都会的で、ペダンチックで、芸術をネタにかわいい女とセックスするような男)は死んでくれ」と映画で表明しているのに、ポパイ的人間からばかり評価され、「ウディ・アレン映画から見るファッション特集」みたいなのを雑誌で組まれてしまうきらいがあるの味わい深い。こういうこと言うと“自分は分かっている側の人間”みたいな自己顕示っぽくて嫌だけど、まあ、ポパイ的人間よりは頑張って考えているし、その結果全然かわいい女とセックス出来やしないで気持ち悪がられるだけの人生だから、こうやってインターネットの中や似たようなオタク仲間との会話でくらい、“ただ自分よりモテるだけの”善良な人間たちを馬鹿にして得意ぶるのくらい赦されたいね。
 2016年もおもしろい映画をたくさん観られたらうれしいです。映画監督がんばれ~。終わり。