2014年11月19日

 先日青山で開催されていた寺山修司を語る会(正式名称失念)に趣いた。参加者は穂村弘、俵万智、川村毅、町田康。いま調べたら田中未知という、寺山修司の秘書であった方が主催でその人が「写真屋・寺山修司」という写真集の編者であると知った。わたしが寺山修司の文字を用いた作品で唯一知っているのがこの「写真屋・寺山修司」である。中学生の頃にいまはユナイテッドアローズだかそこら辺の服屋になってしまっている、新宿ルミネ2のフロアー一帯に以前は本屋があって、中学高校とそこに通いつめていた。エスカレーターを上って本屋に入ると角に写真集のコーナーがあり、そこに「写真屋・寺山修司」はあった(壁に沿って左へ行くと小さいながらもサブカルチャーのコーナーがあった。ボーイズラブのコーナーとほぼ渾然一体となっていたので、新刊で平積みとなっていた中村明日美子の漫画をよく分からずジャケ買いし、化粧室の前にあるソファで読んで「どこに仕舞えばいいんだ」と深く悩んだ記憶)。
 その写真集は、寺山の撮った白塗りの人たちの写真と一行の詩が一頁にそれぞれ一つずつ掲載されている、という形式で今回三上博史が冒頭で朗読していた詩が、それであった。わたしはこの詩の中の「空は空想の流刑地」という言葉が非常に好き。そんなこんなで一時期新宿の本屋へ行く度にこの写真集を読んでいた、惹かれていたにも拘らず、寺山修司は中二病の読み物と決めつけて意識的に忌避というか敬遠というか触れぬよう関わらぬようにして、生きてきたのであった。完。

 忌避、敬遠と言えば今回のトークショウの参加者であり司会者でもある穂村弘に対しても大変な偏見と食わず嫌いとをしていた。というのもかねてから氏の名前は、そりゃあ有名も有名なのだから耳に目にする機会はごまんとあった。が、大体その評価・受容のされ方が、詩のじょうずな「かわいいおじさん」みたいなもので、自分と同じくらいの年齢のかわいい女の子から「かわいいおじさん」として受容されておるのは、滅茶苦茶気に食わなかった。
 これは先日の「ピアニスト」の評では無いけれど、自分の中にある男性性、それも女あるいは女の子(ゲー)として生きることが許されなかったいろいろな外的要因により男性性へと変化せざるを得なかったという畸形的な原因により屈折しまくった男性性が、男のくせに、しかもおっさんのくせに女の子から「かわいい」とチヤホヤされやがってカマ野郎、ムカつく、恥を知れ、というどうしようもない嫉妬から嫌っていたのであった。酷い話もあったものだ。ので、今回も町田康な~町田康居るけど穂村弘な~穂村弘も居るんだよなぁまた同時に、と悩んだ。でも行った。そして顧みれば、総合的に話す内容がいちばん面白かったのは穂村弘だった。本当に頭の良くユニークな方で、物事の見方が明らかに大きく人と異なり、想像力に富んでいると同時に創造性のある、面白い大人の方でした。でもやっぱり穂村弘が、というわけでは無く広く「かわいい」みたいなウケを狙う、狙ってなくても結果的にそのような評価に甘んじている男性は依然として許せません。とりわけ彼の話で面白かったのは、寺山は神様の立場で、神様からしか見えない景色(米粒のような遠くからは見えないものが見えたり、車に乗っているのが死刑囚という誰も知り得ないことを知っていたり)を歌にしていのだ、みたいな話。

 町田康の話をします。町田康はしばしば見掛けるので気に入っているのであろう「PUNK」と大きくプリントされたティーシャツをその日も着ていた。そして神妙な顔をし、終始ぼそぼそと話していた。彼以外の参加者は寺山修司に対し思い入れがあり、穂村弘に振られた質問に対し、その答え+αで応じていたのだが、特別深い思い入れも無い(「周りの友達で影響されている人は沢山居ます」と言っていたのに笑った)町田康は、質問に対する答えのみを糞真面目に述べ、穂村弘の言うおもしろ寺山評にフムフムと頻りにメモをとっていた。途中で「一応」という言葉を五回くらい連発したり、「えっと」「なんか」としどろもどろになったり、観客では無く参加者(特に穂村弘)が町田の発言に笑うとホッと安心したように破顔して関西弁が出たり、といった彼の挙動が滑稽で切なかった。
 このような二元論的な比較になんの意味も無いことは承知だけれど、穂村弘は先に書いたように物事の「見る」方法がユニークで、分かりやすく言えば目の付け所がシャープな人。対するマーチダ先生は物事の見方は凡庸だけどそれを面白く「言う」ことの出来る人なのだなと思った。