2014年12月26日

 「レッド・ドラゴン」観た。これも「母殺し」に失敗した人の物語。以下は中野京子「怖い絵」より引用。

巨大な多頭のレッド・ドラゴンは悪魔的存在の化身であり、竜と人とが合体した異形の怪物で、今しもコウモリのような不気味な翼を思うさま拡げ、横たわる美女を威嚇している。 筋肉隆々たる背、尻、脚はボディビルダー並み、両足を大きく踏ん張るそのポーズは明らかに自分の男性性の誇示であって、その太く逞しい尾は長く伸び、女性の下半身に絡みつく。恐怖に目を見開いた彼女は、長い金髪を太陽のように揺らめかせ、哀れみを乞うように頭上で両手を合わせている。
悪夢のようなこの光景は、「ヨハネ黙示録」の一場面を描いたものだ。曰く―――
日(太陽)をまとう女が、十二の星をちりばめた冠をかぶり、足を月の上へ載せ、子を産む苦痛に泣き叫んでいた。そこへ七つの頭に七つの冠をかぶり、十の角を持つレッド・ドラゴンが現れる。ドラゴンは尾で天の星の三分の一をかき集め、地へ投げ落とす。それから女の前に立ち、子供が生まれたら食おうと、待ちかまえた。 
グロテスクなまでに過剰な筋肉を鎧のごとく身につけたこのドラゴンは、「黙示録」中の竜の記述を逸脱し、人間の男の、それも男性優位主義的な力の誇示に走る男のナルシシズムと狂気を露呈している。この絵を見て、単に女の産む子を喰おうとする竜の姿と思う者は誰もいないだろう。強烈な性的エネルギーが横溢しすぎているからだ。
これは、か弱い女性の怯えを楽しむ怪物の姿である。相手の震えを自らのエクスタシーに取り込む異常者の姿である。無力感にうちひしがれた女性を我が身と感じれば、これほど怖い絵はない。しかし怪物にやすやすと我が身を重ねることのできる者にとっては・・・・。
「はじめてその絵を見たとき、彼は度胆を抜かれた。彼の考えをこれほどまでに絵として表したものは見たことがなかったからだ。なんだかブレイクが彼の耳を覗きこんで、真っ赤な竜を見たに違いないという気がした」
トマス・ハリスのサイコサスペンス「レッド・ドラゴン」の一説である。「彼」とは、この小説に登場する連続殺人鬼で、ブレイクの絵に衝撃を受け、背中一面にドラゴンを模したタトゥーを施している。
「彼」は母に捨てられ、精神を病む祖母に虐待を受けながら育った。成人した後は、自分の顔の醜さ、自信のなさ、弱さを補うため、必要以上に肉体を鍛え上げてきたが、内に蠢く衝動の激しさをどう放出すべきか知らず、長く悩んでいた。そこへブレイクのこの絵が目に飛び込んでくる。霊感のように為すべきことを知らされる。「彼」は筋肉をさらにタトゥーで飾りたて、「成るべく存在へと変身する」のだ。
身の毛もよだつ一家惨殺が始まる。「彼」がターゲットにするのは、社会的に成功した夫と美しい妻、そして可愛い子供たちのいる幸せな一家だ。寝込みを襲い、夫と子供たちを刺し殺す。妻には致命傷を与えるがすぐには殺さず、レイプした後にゆっくり絞殺するのだ。その際、死んだ子供たちをベッドの周りに並べ、彼らの目に鏡の破片を嵌め込んで観客に見立て、自分の雄姿をちらちら眺めながら殺人を楽しむ。「彼」はこの瞬間レッド・ドラゴンとなり、「日をまとう女」を彼女の恐怖ごと我が物とする。
「彼」が本来攻撃すべき相手は母であり祖母であり、自分を嘲る人間たちであり、もっと言うならば自分を満足させられない自分自身のはずなのだが、それができずにねじ曲がり、しかも長い抑圧期間を経ていっそう異常な表出の仕方となる。そのくせどれほど狂気の中にあっても自己保存の部分においては正気を保ち、自分より強い者、報復しそうな者に対しては正面攻撃を避け、弱い者、無防備な者へと矛先を向ける。ほしくても得られなかった幸せな家庭という象徴、そこに性的欲望も絡むので、標的は必然的に子持ちの若く美しい女性となる。その女性にたっぷり恐怖を味あわせて興奮することで、自らの弱さと恐怖を克服する。
その興奮は、当然ながら長くは続かない。方向が正しくないのだから、ほんとうの意味での満足は決して得られない。すぐまた同じことを繰り返さなくては、見えざる恐怖に自分が呑み込まれてしまう。こうして「彼」はエンドレスに殺人を続け、「終わりなき夜」(ブレイクの詩句)を重ねるしかない。